シャカフテのルーツ ~職業体験篇~


カロリー:★★★★☆
(情報量が多い)




※この記事は自分語りを詰め込んだ「追憶篇」カテゴリにあるものです。読んでいてめちゃくちゃ気持ち悪いと思います。ので読みなさい。










ーめんどくさかったら次の大見出しまで飛ばしてくださいー



──よう。



あなたのシャカフテは、どこから?
そう、はじめて己が社会不適合者であるという自覚が芽生えたイベントってありますよね。

体育の授業で二人組が作れなかったとき。

プリントが前から後ろに配られるとき、最後まで何故か自分にプリントが回ってこなかったとき。

自分のことを、親が近所付き合いにおいて話したがらないでいると知ったとき。


今日はそんな話です。


ちなみにタイトルは嘘ですよ。僕のルーツは別に、中学校の職業体験期間ではありません。


──生まれる前からです
──逆子だったみたいだし。生まれてもあまり上手く泣けなかったもんで、保育器に収容れられたんだってさ────────それから開闢(はじ)まったんだ──悪夢のような総てが──────────









──そう、時は中学生時代。

公立でありながら市内有数のどこか格式が高いといわれていた中学校に、僕は通うことになりました。校内がとても清潔で運動部が全国レベルに強い「よくできた学校」といった保護者のイメージとは裏腹に


・生徒を格付けしたような扱い(点数の低い者が提出したノートやプリントを投げて寄越す、追試は反省も含めて、体育館で正座して地ベタで受けさせるなど)

・教師による体罰、多すぎるセクハラ(逮捕者、謎の異動措置も実際に出ている)

・意味不明でしょーもない
ルール、罰則、保護者や生徒に監視をさせあう
(朝礼で「お宅の生徒がシャツを出して下校していた」という内容のクレームが来ていたことを生徒に30分かけて報告。こう言われなくなかったらちゃんとしましょうという言い分)

(盗難事件があったので学年全員荷物とともに行動することを義務づけ。移動教室時などに取り残された荷物はゴミと判断され、初日は置きベンの類を先生が見せしめに廊下に投げたりするも4日で馬鹿馬鹿しくなり、かえって生徒達の置きベンが増え義務がフェードアウト)

(体育の時間、学校が独自に編み出した伝統の気持ち悪いビリーズブートキャンプみたいなウォームアップメニューを笑顔でハキハキとやらされる{恥ずかしがったりサボると、5分もあるのに全員はじめからやり直し})

・教師による行事関連のやらせ
(日本有数の文化ホールを一日貸しきっての音楽会、学校が独自に編み出した伝統の組体操超大技など、どう考えても学校自慢の材料でしかない行事が多い。それらごとに学校ぐるみの朝練、授業の無いピリピリした練習日が一ヶ月以上続くためクラス内がトランス状態、険悪になり非常に息苦しい)

(一人ずつ歌わせるイベントは当然、合同練習などで個人を叱りつける、「嫌なら帰れ問題」の連発。音楽会伴奏の女の子を先生が泣かせたり生徒達で励ましたりと、青春感動モノの立会人となる展開の押し付け)

(それら練習風景を撮影し、ドキュメンタリー映像を作っている教師がいる)


等々、工業高校や体育会系学校とこじらせ教師のハイブリッド洗脳が生み出したディストピアでした。同年代にドラマ「女王の教室」が放送されていたこともあり、いかにもそれに影響を受けたにわかスパルタといった印象。シャカフテとしては、学校でやって欲しくないことしかやってない、本当にゴミみたいな学校でした。


「いい学校」のくせに卒業生がヤンキー化して学校に落書きに来たり、同級生のガリ勉が引きこもりになる噂が流れたりと最後までしょーもない悪政のはびこるクソコミュニティだったとしか思えません。


小学校を卒業したうち、その中学に進む人は殆ど居ませんでしたが、そんな場所も僕には好都合でしたね。
卒業の半年ほど前、学年でもトップクラスに有名なちょっとギャル寄りのマドンナちゃんにイキ告してからイジられイジメられ、悪口陰口が僕の周りを絶えず飛び交っていたため、そういった““底辺””から逃げてリセットするには絶好のチャンスだったからです。


──結局噂が学校越しに流れてきたので一部の噂好きからはからかわれたりして、過去からは逃げられなかったんですがね。



ーーーーここから本編ーーーー


中学という新たな環境で新たに「ヘンなヤツ」であることを隠し通して生きていたのですが、一年生の夏にアレが始まったんですよ。


職業体験週間。


みなさん知ってのとおり僕って無職じゃないですか。


思えばあのころからずっと、僕はどうしようもなく、どこか潜在的で、根本的で、根源的なところがまっさらな無職だったんだな、と思える出来事でした。









7月のはじめ、セミが鳴き始める頃。僕は昼休みの時間、職員室に呼ばれていました。


「頼むよ、わからないじゃ困る」


そう言う先生の机の上にあるのは「職業体験 希望調査表」。


よくある、『出していないプリント』というヤツです。


「お前だけだぞ、学年で出してないの。今日までだから」


───へえ、本当に言うんだ。そういう台詞って──


先生の話が聴こえているときは、そんなことばかり考えていました。


──わかんないんです─全然どこにも行こうと思えないんです──


「それじゃあ困るよ~・・・働きたくないってこと?」


そうそう────


「そうそうじゃねえって・・・みんなが行ってる間登校日じゃないから休日だけどお前その間どうすんだよ」


『なんもないってことですか』


「そうじゃねぇよ・・・」




そんな話をしていました。僕はただ『働きたくない』という感情をそれ以上の言葉にする方法が分からず、受け答えに応えるうちにそれを解ってもらえればいいな、と本気で思っていましたが、僕はただ不参加という形で流してもらえれば助かるのに、それでは先生が困るというので、なんだかんだで枠が足りていない体験先に補充される形となりました。ちぇっ。




────まあ今思い返すと、この頃家はまだ、家で雑務をしていたりする父親が居たから、平日の家なんて居場所も無いから助かったんだけど。





僕が行かされたのは、小学校の先生の職業体験でした。担任の先生はおばちゃんでした。


新しくて綺麗で設備の整った学校で、二日間の「やりすごし」が始まったのです。


本当は三日の期間が用意されているんですが、木曜、金曜を学校での体験、最後の土曜は小学校でお手伝い出来ることが無いため、中学に戻り用務員のおじさんと草刈。これまさに『選ばなかった者の末路』といったスケジュール。
おじさんにはホント悪いけど。


さて、小学校では
ひとつふたつしか歳の変わらない高学年の担当になるとイジメられる運命にあったので恐れていたのですが、幸い三年四組の副副担任、みたいなポジションでお手伝いをさせてもらいました。


小テストの丸つけ、黒板を消したり給食をみんなと食べては外でかけっこ。それが仕事でした。ぶっちゃけ出来ていなかったですが。
小学三年生から現れる新キャラの九九攻略がひと段落したようで、テスト用紙には二桁同士の足し引きの筆算あたりも見え隠れするようになったガチムズ難易度に四苦八苦している9歳たち。僕はテスト中何もせず、前で女の子のパンツ
見ようとばかりしていた気がします。


二桁同士の筆算って今もあまり出来ないのですが、当時も丸つけがめちゃくちゃ苦しかった記憶がバリあるので、確か出席番号一番のアンドウくんの答案と合っているかどうかでクソ適当につけていましたね。先生答案よこせよって言う選択肢すら思い浮かばなかった。




この小学校の職業体験には、中学時代よくつるんでいた二人と行ったはずなんですが、彼らとどんな話をしたのかよく覚えていません。




そんなこんなであっという間に三日目。そこには炎天下でジャージを着て中学に登校し、敷地内のあらゆる草を刈る、やせ細って土に汚れた哀れな強制労働者がいました。映画の序盤で治安警察やギャングに捕まったりして、タコ部屋や収容施設で働かされる主人公の気持ち。


朝の9時。休日であるため昇降口は使用できず、校舎裏にあるドアから入ります。錆びた脚立、日光で変色した灯油のポリタンク、広げるのに工夫が要る、歪んだ台車…備品かゴミかよく分からないものが壁に立てかけてあり歩きにくい廊下。そこはもう、シャカフテ通り一番街。すぐ脇に旅館の手ぬぐいや、芋掘りなんかに使う小さなアルミのシャベルが入ったホコリ臭いダンボールが並んでいました。これを使うのでしょう。


用務員のおじさんの気さくな挨拶にシャカフテ流対人術壱ノ型「会釈かうなずきかよくわかんないやつ」で返し、そのまま用務員室へ通されます。


小学校勤務(?)を終えた我々の他にも体験期間が二日間のみの場所があったようで、
用務員室には既に、いかにもシャカフテっぽい陰気なヤツ、知的障害があるらしいことで有名な男子、オタクのほかにも隣のクラスで割とはしゃいでいる印象のある運動部等、割と雑多なメンバーが10人ほど集っていました。恐ろしいカースト上位の女子とつるんでいた女子なんかも割と居た(不登校がちだったので四捨五入するとシャカフテ)ため、こいつらとタコ部屋寮生活とかになったらどうしよう。絶対ムリ。そんなことしか考えることの出来なかった僕は阿呆としか形容できぬものでした。


実際にはあまり見かけない昔ならではの銅っぽい色をした薬缶、旅館にありそうな急須、外側に広がる形状の湯呑み、校内ではイマイチ見慣れないものが並んでいて、僕は少し憂鬱になりました。日常のサイクルを少しでもハズれるだけで車酔いのような症状、下痢、冷や汗。それもまたシャカフテ。ちなみに人間性は開闢(はじ)めから喪失しているようです。


運動部のヤツが用務員室のテレビに非日常感を覚えたのか、大人が居ないタイミングを見計らって電源を入れると、「とくダネ!」のなんだかどうでもいいニュースが流れ始め、僕はさらに憂鬱になります。すぐにおじさんが戻ってきて「じゃあ中庭行こうか」と言うので、点呼のあと特に並ぶこともせず、テレビについて怒られるところを見る事もなく、流れで駐車場近くの花壇の整理に入りました。ここで小学校勤務を共にしたうちの一人がおらず、サボっていることに気づき、してやられた気分になりましたね。


そういえば、移動時間とかって僕嫌いなんですよね。仲のいいグループを作れた年度なんかは楽なもんですが、クラスを牛耳る力のある運動部や活発で彼女のいるユーモアイケメンDQNなんかが居ると、移動中に後ろから絡んできたりド突いてくるんですよ。僕がシャカフテだから。
今でもそういう「他人におびえられるほど影響力や空気の把握力を持っている自覚すら無いorそれを悪用している健常者」を見ると、辛い気持ちになります。宮迫博之とか、WANIMAとか。

WANIMAのような人達に嗤われて生きてきました。




それからは12時半ごろまでひたすら各地の草をシャベルや小さな鎌で刈り、芋を育てている畑のほうに捨てに行くの繰り返しでした。中学時代分全ての草を刈りました。──だからかな、あれから人を笑顔に出来なくなったの
は──


(前略)やはりシャカフテなので、みんなが右から順番に刈り進んでいるときに僕は左端のなんだか目立つ草だけ刈っていたりして、つまりシャカフテでした(中略)。


昼にはお弁当が出たような気がします。三角おにぎりが二つ入ったやつです。
疲れた体にはめちゃくちゃ格別においしく感じられましたが、僕はそういう価値観感動ポルノっぽくて嫌いです。働きたくないって言ってんじゃん。旅館みたいな湯呑みでお茶を飲んだり、その場限りの仲間とは割と話せるようになっていたりして、「社会も悪くないな」と思えるような展開
もあり──────やめろ──やめてくれ────それはシャカフテに味あわせてはならない感情だ──いつかヘマをして──俺はお前たちに亀裂を走らせ────総てを滅ぼすぞ────とばかり考えていました。



午後もあいかわらず労働でした。ただ午前中刈りすぎたためか、割と早く帰れた記憶があります。




後日作文だったか、何か感想のようなものを書かされた気がします。僕は嘘でも「たくさん仕事をした後のおにぎりは格別でした」なんてきれいごとを書くと、体中に蕁麻疹が出て体の大きさが12倍の沼に棲むカエルみたいになってしまうので、全力で文句ばかり垂れて先生に叱られ「これが僕のもっとも正直で、何度も考えたことです」とつき返したような覚えがあるのですが、実際にはそうしたか、していないかのどちらかです。




──グッバイ。