港区ワンサム・リハビリテーション

───よう。シャカフテ。
 

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【シャカフテ】
社会不適合者の略。不特定多数が比較的容易に遂行しているルールに苦痛を感じ、コミュニティへの一定以上の介入に障壁を感じる人。
 
【シャカフテポルノ】 
シャカフテが、己が持つ劣等感や無力感に起因する失敗のエピソードを披露し、自らのイケていない人物像を晒して笑いを誘い、感動ポルノのように受け手の満足感に甘んじる行為。もしくは受け手がシャカフテをかわいそうな人と捉えた前提で、優越感に基づいて消費すること。
 
 
───闇の中からひさしぶり。郡山 淀吉です(適当に考えました。今日からです。嘘です割と真面目に考えました)
 
また、ここに到来るとはね。
 
いつもEverNoteで書いてから、ブログに上げる時にレイアウトに合わせて微調整をしているんですが、ダークモード非対応で目が痛かったためなかなか集中して書けませんでした。対応してくれてありがとう!
 
これ以上アタマが冴えている日が無いので、このガバガバさを正直に文章にします。頑張って読んでください。
 
2019年の終わりから2020年のあたま。以前の記事で書いた通り、障害者手帳を手に入れてからは初めてR氏のもとで同人の原稿を書かせてもらったり(Twitter参照)、コロナ禍の寸前まで就職支援の機関に通っていたり、なんだか元気でした。実質的な就活を再開していたといっても過言ではありません。ま、常人ではないMP量の低さで1年で2社しか受けてないのに年中しんどかったんですけどね。
 
勝手に時効と定めたので、企業主催の就職支援機関に通っていた話について書きます。
 
ちなみに2017年から18年は、ハロワに併設されている支援機関で人と話す練習を、また発達障害のある人向けの機関で同じようなことや、軽い適性検査を受けたりしていました。
後者の機関は手帳を持っていなければ復帰プログラムへの参加が出来なかったため、その後はじめて精神科に通い始めるという逆順でした。鬱と発達の存在が明らかになったあとはなけなしの承認欲求を埋めるべく鬱の治療も兼ねてこのブログを書き始めたり、絵を描いてばかりだったせいで、結局手帳取得後も通うことはなかったというクソ要領の悪い経緯があります。クソ!マジでもったいねえな!また病院通って手帳欲しいよお…何のため?
 
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2019年12月。
都心の繁華街に長屋の如くハマった雑居ビルは、Googleマップで探してもわかりにくいもの。
 
マーカーの打たれている位置が入口とは限らず、道を1本間違えたなんてこともよくあり、10分早く着く計算が5分前なんてことも。
 
実際は30分前に職場に居なくてはならないとか、そもそも労働の準備を労働外でするのは当たり前ではないだろとか、それも労働なんだから時間どおりから準備も始めろよとか。そう考えるだけで、今からでも捕らぬ狸の皮算用の如く、もし自分が会社員であったらということを考えては余計な辟易を勝手におっぱじめるのが僕の脳です。
 
こんなの、新卒が数ヶ月で慣れているのが自然で、その立場を失って2年が経過した、いまだ職歴無しの僕は、未だに一目で書類で落とされる程度には、他人に信じてもらえなくて当然な程不自然で不審極まりない存在で。既に吐きそうでした。今これを書いているだけでも、視界の端が痙攣しています。
 
 
企業主催の就職支援の機関があることを知ったのは、就職サイトのバナーで見たキャンペーンの存在でした。どんな訳アリの経歴を持つ人も、20代なら無料で面倒見てやるからこいや!無職のみ対象!!といった内容のキャンペーン。
 
流石企業ですね。行政のやる就職支援はキャンペーンなどしませんしできません。
 
前述のとおり、丁度R氏の同人誌の原稿を書いていた時期で非常にMPが沸いてきていた僕はその日に応募しました。まるで社会人みたいだぁ
 
ぶっちゃけ怪しいなと思いましたが、この手の奇をてらった企画で一発当てねえともうどうしようもないしシャカフテポルノのネタにもなると思ったのでその日に応募しました。
その後数日間で確認の電話がかかってきたり、メールが来たりして、それをヒイコラ言いながら一日二日かけて返し、当日のガイダンスへ来たのです。
 
電話は個人の経営するお店のバイトが対応をしているようにたどたどしくすらある、フランクな口調の女性が出てきたため、日程の確認をしただけなのにいつもの床屋に予約を入れたかのようでした。
 
 
初日はガイダンスでした。キャビンアテンダントの研修鬼教官この道30年と名乗り出しても頷くような出で立ちの転職コンサルタントらしきさっぱりハキハキしたおばさんが現れ、僕はもうダメになりそうでした。
 
「どんな悩みを打ち明けても論点ずらしてなんでもかんでもプラス思考に結び付けてきそうでこわい」と思いながら、そのサービスの概要を聞きます。
 
ま、実際このキャンペーンはそういう試みだったんですよ。ポジティブシンキングの仕方という軽いレクリエーションをするために、あえて訳アリのシャカフテを集めたというわけで。自己啓発セミナーだと言われても仕方ないものです。もう僕は啓発されなければいけないところまで来ているんですから、やらなきゃいけないんです!
 
 
ガイダンスでは一人ずつ軽い経歴とどんなワケがあるのかを説明しあっていました。みんな割と職歴があったり新卒で半年以上バイトをやっていたり、狂いそうでした。
 
僕のように専門学校の卒制に累計2年も耽ってしまったせいで全く就活をしなかったり、その一方で「とっととしょくにんになってがっこうやめたい!」と矛盾した夢を衝動で抱えてまで息を巻いて始めた町工場でのバイトで社長の機嫌を取れず、その週に納品しなければならない製品を不注意でぶっ壊したりして5日でクビになったような奴(4万の男 その3 【完結編】参照)は他に居ませんでしたが、訳アリの人がある程度居るとわかるだけでも気が楽でした。みんな僕より2つくらい年下だったのですが…
 
 
そんなわけで、既にひとりアラサーに突入していたカマキリ顔の職歴なしのうつ病治療中ADHDはドヤ顔で「卒制で映像作品を作っていたら2年経過していました。Adobeの印刷物に関するデザイン系ソフトや動画編集だけでなくプラモデルとか舞台の小道具とか作れます」と言い放ち、社会不適合者ではあるもののポテンシャルだけはやたら秘めた人間を装い、その日は「この中でも結構面白い方の人」で終わることに拘りました。もう、そういう風にアピールしないと人に覚えてもらえないから。ただ実際、あれから1年以上が経過した今でも、僕は未だにソレを誇りにしているくらい他に強みが無いので、似た人が周りに居たら嫉妬に狂っていたと思います。居なかったので怪獣にならずに済みました。
 
 
その後「どうせなんにもしてないんだしやるか」思い入会しました。無料ですからね。交通費のみ自己負担だというので、親にせびりました。正直、専門学校に通っていた頃の2/3程度の額で済みました。母も僕の就活再開?に何の文句も言わずお金を出してくれました。申し訳ない気持ちもありますが、その申し訳なさを解消するための金を得るための金が無いのだから仕方ないと自分を正当化し続けました。
 
 
そこは履歴書の添削から面接練習等の就労支援を行う一方で、本業はプログラミングスクールのようでした。
 
ググれば出てくる(そもそもほぼ全てのクリエイティブスキルはググれば出てくるのですが)くらい初歩の初歩であるhtmlとCSSのようなものから、JavaPythonのように少し専門的な、本屋でよく見る名前…を勉強し、今、そしてこの10年程食いっぱぐれず、需要がほぼ絶対に消えることが無く、なおかつ仕事におけるコミュニケーションの障壁を緩和できるとか、没頭できれば余計なやりとりが必要ないとされる故に、社会不適合者がよくおすすめされる職業第一位であるwebデザイナー、もしくは将来的にSE等になるためのスキルを培うのだそうです。
 
どのくらい出席するかは自己申告なので週3で通い、とりあえずJavaの勉強から始めることに。
 
 
ときに、僕はhtmlでホームページを作る実習を専門学校時代に受けたことがあるのですが、当時21歳にして画面の目の前で泣きました。
 
同じワードが反復して登場する形態を持つ文字列を読んでいると、めちゃくちゃゲシュるんです。縦や横に並んでいる活字だとか、数式といったものの段や行数が一致せず、読みながら改行していって認識する作業ができないのです。
 
今でも一応このブログの書式を手動で変更するときなんかにもhtmlは利用しています。それ以前にも僕は結構昔からニコニコ動画への投稿やそれに関する絵を描いたり動画の字幕の色を決める作業で、文字を大きくしたり色を変える時に必要となる基本的なhtmlのタグ
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とか、<font size="15" color="#0000ff">ああああ</font>
といった小学校三年生くらいまでの算数程度の内容まではそれぞれの文節が何の役割をしているかまで知ってはいるし使えるのですが、増えてくるとすぐ、読んだ文字がやんちゃで聞く耳を持たない子どものように逃げていき、認識が遅れていきます。
 
似た理由でMicrosoft Officeもろくに使えません。酔って吐きそうになります。オタクで陰キャでPCを使った作業に没頭するしかないのにコーディングもOfficeもできないとか…
 
文字であるということまではわかる…数字なのか、英単語なのかもわかる。単語の意味も数値もわかる。けど、まとまりとしては読めない。この記事も、あれ?この行何回読んでるんだっけ…?となりながら2か月かけて書いています。
 
 
コーディングの実践が始まると、案の定それはすぐに起きました。
 
webページというプレビューがあるhtmlと違い、Javaはシステムを動かす言語のようなので動作の見た目上は完成していても式の中身が異なるので課題の要件を満たしていないといったこともしばしばありました。Hello Worldだけで構造を理解できず「学習ソフトが合格って言ったしもうええやろ」とか考えて90分くらいかかりました。
 
ときに無力感に苛まれると、全身が脱皮をしたようにぶよぶよして触覚が鈍くなり、脳味噌が水の中に浮いたような感じになりませんか。自分以外がだんだん速くなっていき、視界がもやもやと真っ赤に染まっていく…
 
1日目では微熱が出て、2日目で鼻血が出そうになり、何がどう困っているかを上記のようにしか説明できず、わかってもらうように説明する自信も気力も無く、4日目の僕は回路の焼き切れたロボットよろしく、手をパタパタさせていたのだと思います。
 
意識が朦朧としていると、塾のようにかわりばんこに生徒の面倒を見てあげている職員の人が俺の方を叩き
 
「仕事じゃないからね。日によってマズいと思ったら早退してもいいから。ていうか俺ちょっと休憩入るからさ、余裕があったら外の空気吸いに行こうぜ」と言ってくれました。
 
 
午後1時。スクランブル交差点には、空が十字に切り取られるほどそびえたビルから吹き荒れる風が巻いていました。それに背中を押されても、午前中よりほんの少し人の歩きが遅くなったように見えるスーツ姿の人が、この一度の青信号で何本の電話を交わし、この後何件の仕事を取り、幾らの金を動かしているのか…脳は勝手に考え出し、頭が重くなります。どうしようもありません。もう、何かがダメでした。「どうせなんにもしてないんだしやるかとか考えるんじゃなかった」その言葉が人より速く、僕の周りをタイムラプスのように往来しました。
 
今思えば、誰もマスクをしていない繁華街を歩いたのはあれが最後だったかもしれません。
 
 
先程「先生」から先に行っていると連絡を受けたとおり、彼が待っている高いカフェに入りました。早退の準備をするべく吹き抜けの上の席でほぼすべての人がどや顔でMacをいじれるほどクールな内装でした。ここはマンハッタンか?奥のソファにモーガン・フリーマンとかグロリア・フォスターが座っていて、俺の悩みを聞いて名言で返してくれるのか?オシャレそう過ぎてビビりましたが、あとでググったら全国チェーン店でした…
 
そんなカフェの1階カウンター近く、向かいで飲める小さなテーブルに先生は居ました。
 
僕が座るなり先生は奢りといって、何を飲みたいか訊いてくれます。その日のショックで手が震えてトレーのひとつも運べないであろう僕にブレンドコーヒーを運んでくれた先生は、すぐ本題に入りました。
 
「自分の身近な人間にも精神障害を持つ人が居る」
 
入会時に責任者であるCAおばさんに手帳を見せ、このキャンペーンには障害者雇用等もありますか?大企業等に入りやすくなることもなくはないので、選択肢として考えたいのですがといった話をしており、その際「そんな風には見えないから気にしなくていいと思うけどな」と一番欲しくなかった返答を受けることがありました。そういう話じゃねえんだよな~。しかしながら精神が弱っていると説得なんて択も思いつくことはなく、その時はそのポジティブ光線に流されてしまいましたが。
 
その話が通っているらしく、その日先生に沢山優しくしていただいたのは、どうやらこの件ありきで気を遣っていただいていたわけでした。
 
先生からはおおむね「チーフ(CAおばさん)はポジティブおばけでこういう類いの話が通じないから、ある程度割り切っていいよ、けど精神障害は忘れたふりをするより、しっかりライフハックでデメリットよりメリットが目立つ行動パターンとして矯正できるみたいだから、トシをとる前にそういった自分向きのライフスタイルをデザインできるようになろうね。人によって違いすぎるから時間がかかるかもしれないし、自分自身は障害持ってないから具体的なアドバイスはできないけど、コミュニケーションめちゃくちゃ下手な自分の身近に居るアイツは会社として集団行動をせずに済むように暮らしをしっかりデザインしてる。君もそれが出来るようになれば快適に生きられるはずだ」といった内容のエールを貰いました。
 
僕は手の震えや沸騰したような頭が少しずつ収まり、やがて、猫舌だからコーヒーが飲める温度になるまで時間がかかるとか、かといってこんな冬にアイスコーヒーを頼むと今度はお腹を壊すとか、自分の生きづらさをコーヒーを利用して必死に説明するかのような雑談をしていました。あとは「人に忘れられるのが本当に怖いから、なにかを生み出して発信していくことから逃げられないし立ち向かわなくてはいけない」とか。そんな話をして小1時間喋りました。生み出しているのが個室ビデオで女装してアナニーをしているブログだということはさておき
 
先生の話は、これが仕事の関係だったら当たりだったのにと思うほど、まさに理想の上司と言いたくなるように心地よく、向上心が湧いてきました。でもコーディングだけは無理
 
 
次の日、面接練習を組むための履歴書の推敲がありました。ひとりひとりに半日ほど使うため、6日目くらいに自分の番が来たというわけです。
 
そこで正直に、元々コーディングは大の苦手であるとか、専門学校で勉強していた別の分野での経験と、今でもクリエイティブ職を希望している旨を伝えると「君ここ来てる場合じゃないよ、自分に正直になりな、応援してるぜ」と言ってもらい、その場で辞めました。
 
気分が良かったので帰りにハロワへ直行し、障害者枠の求人を取り、帰ってすぐに書類を用意して、次の日あさイチで応募しました。24時間以内に不採用のメールが来ました。ダメか!!
 
 
次のシャカフテポルノへ続く…
 
 
───じゃあな。