リザルト




よう。シャカフテ。


【シャカフテ】 …シヤカフテ

社会不適合者の略。 人間の形成する社会生活に苦痛を感じ、離脱もしくはリタイアした人。

近年では社会生活における習慣、作法、儀礼、人間関係の「当たり前」と言われる事に、もとより基本的な適正や素養を持たない人も散見される。








郡山です。2017年が終わってだいぶ、2017年度が終わってそこそこ経過するので、ここ1年について書きます。






ニートとなって1年が過ぎました。
無内定で専門学校を卒業し、始めだけ嫌々就活センターの指示に従ってアナログで履歴書を書き面接に行っては「うちすごく忙しいしミスできないから厳しいと思うけど大丈夫?」と心配され正直に「あまり自信はありません」と答え当たり前のように落ちたり、それからは夏まで無職を満喫して危機感に駆られ正社員もアルバイトも数件送り玉砕。そんな毎日でした。



今は電車に揺られて週1程度、働くことが苦痛すぎる人、就活が辛い人、また発達障害精神障害の人が集まる無料のカウンセリングや、軽い「仕事の練習」のような講座を受けています。辛いです。でもこれも僕にとっては努力なのだとはっきりと言いたいのです。



白状します。
玉砕の毎日といっても、この12ヶ月で応募した会社は10社程度です。



就活生がよく「1社に絞って受かったわ~」とか「30受けてなんとか内定3貰ったしこの中から選ぶ」なんて言いますよね。



僕はただでさえ友人が少なく、同じ年に就活をしていた周りの友人がほぼ居なかったため平均やベターなんてわかりませんが、最低でも学生時代に10社くらいはガチめに書類書いて面接練習して、服装に全力で気を遣って受けておくくらいが会社選びに後悔することなく前に進めるんじゃないかと思います。
これからシャカフテかどうかが決まる“お前ら”へ、最低限のアドバイス



履歴書を書いて、就活センターの人に添削してもらい、会社の人と電話をし、書類が通ることがあれば面接に行く。
その行程がすでに、僕にとっては心と体がばらばらになってしまうくらい、どうしようもなく大きすぎる絶望感を覚える原因になったのです。
甘えかもしれません。でも僕にはわかりません。ただ「そう」なのです。疲れるのです。
みんなも疲れているとか、知らねえよ。うるせえよ。



僕が志望している「クリエイター業界でのデザインや編集のお手伝い」はオンラインで書類選考を受け付けているところが割と多いです。例えばバイクの雑誌を出している企業なんかは、募集要項に「あなたのバイクに対する熱い思いを志望動機欄に書いてください!」なんて書いてありますが、だからといって3週間ほど推敲に推敲を重ねて書いた原稿用紙4枚ほどの熱い思いなど、企業の人は読んじゃくれないのです。人事が居ながら、合間に時間を割いて面接に来てくださる編集担当の人は、僕のラブレターとさえ呼べる自己PRを面接で初めて目にしてドン引きするのです。人手が欲しいと言うくせに、あちらはとっとと済ませたいのです。意味が理解りません。俺は人じゃないのか?熱いエンジンをふかし続けて書いたあの3週間は一体?



つまるところ、就活において僕の何が読み取りたくて、どうするのが最も滞りなかったり、どこが余計だったりするのか、どこを受けてもわからないのです。
好きなものを好きだと言っても、どうしても苦手なものを正直に口走っても、何もかもがマイナスなのです。僕はやりたいことだけやりたい子どもだということを、すぐに見破られてしまうのです。そうだったとしても、それを職にすることは本当に不可能なのでしょうか?理解りません。僕にはなにも理解りません。



それからは無力感に苛まれています。洗濯物を畳んでいるときも、鞄の荷物を確かめているときも、自転車のサドルにまたがるときも、改札を通るときも、自分の体ではないような違和感が離れません。
頭がぐらぐらと痛み、自分自身の存在がとても醜悪で、滑っているような感覚が鳥肌となって僕を襲います。辛いのです。でも、自分が辛いと証明できるものは何もない。何も、何処にも。



かといって食事が通らず吐き気が止まらなくなったり、予定の前日に眠れなくなったり、何もやる気が出ず涙があふれたりはしないのです。絶妙に「大したことない」のです。心の病で医者にかかったこともありません。



自分が健康なのか、辛いのかどうかわからないのです。大丈夫かどうか解らないのです。それが一番辛いのです。



辛い証明、どこで手に入るんですかね。病院に行きたいのもやまやまなんですが、僕には貯金がないし、親には心の病や障害があるか検査を受けたいと話しても止められているので八方ふさがりなんですよね。






それと平行して、ふつふつとわいてくるものがあります。

「造りたい」

「書きたい」

「残したい」

「忘れられるのが怖い」

意欲ではありません。これは僕にとって、根本的な生存欲求です。
それが脅かされています。





割と長い間世話になっていたコミュニティがありました。
共通の性癖がある人達で集まってダベっているだけで、大変居心地が良かった割りに、既にクリエイター(動画や絵を上げているだけでなく同人とか商業とかやっているらしい。名前とかはほとんど知らない)な方々が無限に出入りしており、業界の人がバイタリティ全快で互いの作品を見せあったり「こんなおもしろいものがあるよ」とプレゼンしているのを見て、そこで何かクリエイター的な感覚を養えた気分になって、幸せで仕方がありませんでした。



数年前、僕と同い年でとてもセンスのある人が現れました。
彼は持ち前の夢中さをスキルにする力で、現在も一定の性癖を持った界隈で絶大なシェアを誇る作家になっています。ときどきネットで見かけます。



彼が名声を上げていくのを見て、「僕なんかがどうしてここを見つけてしまったんだろう?」
そう思いました。僕はそのコミュニティで、自分の作品を自分から見せたこともろくにありませんでした。
やがて自分の向上心の無さと、彼を恨むようになることが怖くなってしまい、行くのをやめました。
何より、自分より強い人を見て「越えたい」と思えなかった当時の自分に嫌気がさして仕方が無かったのです。



それからはサイトのパスワードも使わなくなり、無職になってからは連絡も取らなくなりました。僕が居ない間もそこは動いていて、切磋琢磨している駆け出しのイラストレーターとか小説家とか、他のアートをやっている人。その他大勢の「僕ではない、僕なんかよりもっとモチベのある人」がどんどん何かひとつでも上手になりつつあることを、想像することすら僕にとってはもう苦しくて仕方が無いのです。僕がこんなにほんの少しのライバル心と、それよりも大きな無力感に苛まれていることも、僕の名前も、彼は知らないのかもしれません。



それからというもの、僕はどこにも、何も、誰にも。
作品と呼べるものを見せるどころか、作れなくなっていました。



ペンを握っていても、ナイフを取り出しても、どう作っていたか体が覚えていないのです。
ライフワークにしていたことは、一年間全く出来ていません。完全にスランプです。



そこで始めたのが、絵ェ描くことです。
不死霰先生やR氏につられて始めてみました。
昔から、話や世界観は作っても絵ェだけはへたっぴさが顕著に出やすいのでやらずにいました。
周りに絵ェ描くのが上手い人がだいたい常に居たこともあり、他人と自分を比べやすい僕が控えてきた、しかし久しぶりに手を出した新しい表現のチャンネルです。気分が乗ったらドットを打つ日々です。
あのコミュニティの人に見せることは無いので、なんだか気分がいいです。



絵ェ描いていたり、ブログを更新していると、僕は何かを作ったりすることが、人と話すときの言葉や体の動きと同じように、自己表現をする大切なチャンネルで、無いといけないものなのだと痛感できます。



僕は多分、そういう表現をしていないと人と同じように生きていけないんです。そうしなければ足元がぐにゃぐにゃして、夢には虫が沸いてきたりして、あることないことが見えたり聴こえたりしてくるのです。



また、僕は頭に浮かび上がったなにかおもしろいことは、その瞬間から劣化が始まっていて、形にするまでが長ければ長いほど滅びていくと考えています。完成した時点ですら、それはどこか練られたものでしかなく、想像したものと100%同じではないのです。



発想を表現にせずそのままにしてしまうと、やがて生まれなかったものになります。
生活なぞをして誤魔化しているとき。眠っているとき。それらが、彼らが、僕を恨んでいるような気がします、それが怖くてたまらないのです。僕は一生なにかを作っていることでしか、それを抑えたり、昇華させてあげたりすることができないのです。作らなければ内側から蝕まれておかしくなってしまうのです。強迫観念なのです。



小説家や在宅ライターの人達が「なろうと思って物書きにはなるな。これは他のことが出来なかった人の最終手段だから」と言っていたのを思い出します。なんとなく、とてもよくわかります。
アートだかクリエイトだかわかりませんが、他の表現が出来なくなってしまった僕に残されたチャンネルがこの「字ィ書くこと」「絵ェ描くこと」なのです。最後の砦かもしれません。



ですから、ブログが更新されなくなったら、もう長文を打つ頭すらなくしてしまったんだと思ってください。



Twitterが更新されなくなったら、郡山という男は死んだと思ってください。



自分が今も燻っているか、諦めているのかどうかわからないのです。やれるのか、やりたいかどうか解らないのです。それが一番辛いのです。

しかしながら、いつか以前のように何かまた表現のチャンネルを取り戻しても、ここに報告したりはしないでしょう。僕はあくまでも、馬鹿馬鹿しいといわれてきた屁理屈、疑問を持ち続け、欲のままにネガティブを発信するペルソナです。
近頃はブログやTwitterに境遇や気持ちを正直に喋りすぎて、この体を保ち続けることすら出来なくなってきています。「郡山」というペルソナを保つだけのことが、やがて出来なくなってくるのだということがわかります。僕の名前は郡山ではありません。中島さんには悪いですが、「夜中に酔った勢いで教えた」と言ったあれはあなたを少しでも優越感や安心感に浸らせるためについた嘘です。
「─よう。」なんて言ってあたかも「全てに拒絶された男」というキャラクター性を帯びさせたところで、所詮自分は自分でしかないのです。限界が、そろそろ崩れつつある壁の向こうに見えるのです。


これらのことを、家族や友人と語らえる自信がありません。
彼らはもっと辛いだろうと考えるだけで、ダルくて仕方がありません。



そういうことを抱えてたり落としたりして苦悩しているうちに、もうこんな時期がやってきました。



これからどうしようか、何も考えられません。
どれが努力で、どれが逃避なのかわからない。
何から逃げて、何に立ち向かえばいいかわからない。
早く楽になりたい。作りたい。
そればっかりです。